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きょうは陽気になりました

 投稿者:ウエダ  投稿日:2010年 2月10日(水)11時59分27秒
  こんにちは、皆さん、植田です。

 久しぶりに出てきた場違いな書き込みです。
 定期的に、周期的に出てきますが、きっと何かしらの法則があるのでしょう。

 マーフィーの法則のひとつでしょうか。
 外出から帰ってくると、電話が鳴っていた。すぐに家に入って受話器を取ると、その途端に切れる、とか。
 春先になると、陽気に誘われて、場違い人物が出没する、と。
 いや、陽気と場違い人物は、強い関係があるのでしょう。

 興味のある人は、付き合ってやってください。
 きっとナイーブな人達ですから。

 しかし、今の楽天の株価上昇は、そのような人に支えられているところも多分にあると報じられています。
 「ひきこもりが押し上げる楽天株価」。
 いや、もちろん、いいことですよ。
 それでこそ、ネット時代の覇者の役どころです。
 

絡みの写メ

 投稿者:M猫アンナ  投稿日:2010年 2月10日(水)11時06分13秒
  顔ありで、絡みの写メあるけど
見たい人いませんか?
maluct1987@ezweb.ne.jp
 

「仏教がいかに日本人を構築したかに関心がある」 by フーコー

 投稿者:ウエダ  投稿日:2010年 2月10日(水)08時14分8秒
編集済
  おはようございます、皆さん、植田です。

 次の話題で書きました。Sサイトです。

「私の哲学活動の目標は、主体=主観性の解体である」 by フーコー
 

「〈主体〉を問題視することは、1950年代までは考えられたことはなかった」 by フーコー

 投稿者:ウエダ  投稿日:2010年 2月 9日(火)21時57分12秒
  こんばんは、皆さん、植田です。

 次の話題で書きました。Sサイトです。

ミシェル・フーコーの『哲学の舞台』
 

今度は「近代/モダン」の定義を

 投稿者:ウエダ  投稿日:2010年 2月 9日(火)21時19分22秒
編集済
    こんばんは、皆さん、植田です。

 坂本さん、引き続いて私の掲示板に書き込んでくれるようでしたら、私もその意味を理解したいと思いますので、次に、「近代」の定義をお願いできますか。
 どうもここで行き違いがあるようです。

>保守思想をプレ・モダン(前近代)と断じてはいけません。

 これは、どうも私に向けられた言葉ではないでしょう。
 私は、「プレ・モダン」の言葉を使っていません。いつも慎重深く避けています。

 私が使っているのは、日本の場合は、律令理性であり、律令システムです。
 西洋史の場合は、「近代」の前の時代は「中世」であり、その前は「古代ローマ」であり、「古代ギリシア」です。
 「プレ・モダン」という言葉は、あまりに近代を中心にしすぎています。

 で、私の「近代・モダン」の定義は、まずもって、デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」です。デカルトの言葉では、すべての学問の第一原理です。
 これ以外の近代の定義は、デカルトの第一原理からの派生です。
 といっても、デカルトだけが近代精神を持ったということではなく、デカルトは、当時の西洋人が中世時代を突き抜けて新しい時代に入った精神を表現したまででした。

 で、私は、そのモダン精神は、経験論に陥った、という立場を取っています。
 経験論は、もちろん、ポスト・モダンではありません。

 坂本さんがなんで私の掲示板に関心を持ったのか、私にはわかりませんが、さらに話を進めるには「近代」の定義が必須です。
 

今回は、パスさせてください

 投稿者:ウエダ  投稿日:2010年 2月 9日(火)19時01分37秒
編集済
  こんばんは、皆さん、植田です。

 坂本さん、今回の文章は、坂本さんの掲示板のようで、私には解読、不能です。
 パスさせてください。

 系統的に、ある種の視点から西洋思想史を見ていられるようだ、と感じられるのですが、その視点が、私にはどうもわかりかねます。

 ニーチェと、デモクラシー。
 これは言葉通りにニーチェを読めばニーチェがそう言っていますが、それを解釈する人は、人それぞれです。
 私はニーチェと違って、デモクラシーは人間が発明した一つのすぐれた社会装置だと思っています。

 デモクラシーと、超人は、両立します。
 超人とは、とこれも人それぞれの解釈がありますが、ハイデッガー的には、プラトン哲学の価値転倒を極限まで押し進めた存在です。

 ちなみにプラトンも民主主義者ではありませんでした。
 私は思うのですが、古代ギリシアで民主主義者はいなかったのではないか。
 あの社会の民主主義は、「なっちゃった」民主主義だろうと私は思います。
 ソフィストも、「出てきちゃった」ソフィストである、と。
 つまり、古代ギリシアには何々「主義者」はいなかった、と私は思います。
 だから、あんなにも簡単にギリシア文明の最盛期が終わったのだ、と。

 民主主義を前提として、それぞれ、個性・その才能を発揮しましょう。
 ちなみに、日本の律令システムも民主主義ではありませんでした。

 ま、こんなところで。

 おっと、そうだ、肝心な問いには答えが出ています。
 「ポスト・モダンはどこに向かうのか」

 答えは出ていますが、まだ書くには早すぎます。
 あと数年後です。
 ニーチェもそこを目指していましたが、残念なことに、発病してしまいました。
 ちなみに、私が展開しようと予定しているこの解釈はハイデッガーの『ニーチェ』には出てきません。
 

ポストモダンはどこに向かうのか

 投稿者:坂本  投稿日:2010年 2月 9日(火)18時14分33秒
  植田さん

ポストモダニズムの源流となったのはおそらくニーチェでしょうが、ニーチェはデモクラシーを「弱者のルサンチマンに過ぎない」と一蹴し、近代主義的思考に悪罵を投げつけ(まるで私みたいだ・笑)、ついには超人しか信用できなくなります。

そんなニーチェをチェスタトンは、「孤立した傲慢な思考は白痴に終わる。柔らかい心を持とうとせぬものは、ついには柔らかい脳を持つに至りつく」と強烈に揶揄しました。

理性には物理学(数学)的な純粋理性と物語的理性とがありますが、保守思想が重視するのはむろん後者の物語的理性です。「亀の甲より年の功」といった物語を、たとえ演技であろうと何であろうと、「年寄りの言うことにはひとまず耳を傾けてみよう」といったセンスが若者の間に保たれていればおおよそ社会は安定します。

しかしこうしたことを強調するからといって保守思想をプレ・モダン(前近代)と断じてはいけません。保守思想はモダニズム(近代主義)こそ警戒しますが、モダン・エイジ(近代)そのものを拒絶する訳じゃありませんからね。同じような意味で、確実性の根拠を常に探索する保守思想(保守思想が依拠するのは言わずもがな歴史の叡智としての伝統です)が警戒する理性とは、歴史的理性ではない何物にも根拠付けられない裸の理性(単なる思いつきといったほうがいいかも知れませんが)です。

保守思想がポストモダニズム(後近代主義)に期待するのは、ポストモダンにも保守思想的思考が含まれているからです。ウィトゲンシュタインなどは保守主義に非常に近いですからね。しかし、ポストモダンがプレモダンを時代遅れのアナクロニズムとみなすようなら、ポストモダニズムは結局はウルトラ・モダニズム、つまり単に強化されたモダニズムに終わってしまうでしょうね。

その辺が難しいところでしょう。

追記・・・「平成○皇」という表記はやはりまずいでしょう。
 

律令理性と自然理性の対決

 投稿者:ウエダ  投稿日:2010年 2月 9日(火)16時45分11秒
編集済
  こんにちは、皆さん、植田です。

 さて、坂本さんが書いてくれた文章をつらつら見ているうちに、なぜ坂本さんの文章にホッとできるのか、わかりました。
 昔ながらの日本人の精神がそこで呼吸をしているからでした。
 それが、まさに坂本さんの「保守の精神」です。

 いや、若いころの私は、それに反対(反発)したことでアウトサイダーになったのでした。
 坂本さんが言う「自然」とは、私の解釈では、ヘーゲルが言う「即自精神」のことです。
 そして律令理性人は、すべからく、全員がこれです。

 そしてこの「保守精神」が、坂本さんによる「左翼」の見事な定義を生み出してくれたわけです。
 というわけで、今では、私もやっと日本人のそういう形の「保守精神」と共存できるようになりました。

 では、即自精神とは何か。
 坂本さんが見事に説明しています。

 >左翼とは、人工的な理念に基づいて社会の総体(法律にせよシステムにせよ)を合理的に設計しようと目論む「社会実験主義」のことに他なりません。そして依拠するのは個人的自由と技術的合理といった非歴史的理性なのですね。つまり、「伝統」といったものには目もくれないのです。

>左翼のプロトタイプとは理性に拠って急激な自由を実現させようとする運動なり思想を左翼主義というのですからソ連型にせよアメリカ型にせよ、伝統などクソ喰らえとするノン・ヒストリカルな思想体系に組み込まれた者を左翼とひとまず定義して間違いないでしょう。ですから親米保守などは左翼なのです。


 これらの見方は、私の考えでは、律令理性の窓から自然理性の世界を覗いたものです。
 坂本さんの意味での「人工的」なるものが、自然理性であり、ヘーゲル的には対自精神です。

 人工的であるものが自然理性である、というのは変だ、と思われることでしょう。
 そう、律令理性にとっては、確かに変なことになります。

 そこが西洋史の不思議なところで、人間の頭に浮かぶ(心に浮かぶ、といってもかまいませんが)すべてのこと、人間の精神が感じるすべてのことは自然理性です。
 なぜなら、彼らにはキリスト教という人工的と言うべきか、神的というか、日本人にとっては摩訶不思議な宗教があるためです。
 それがあるために、人間の精神の産物は、それが何であれ、「自然」である、ということになります。
 キリストの存在が、まったくもって不自然であるためです。

で、ヘーゲルが言うには、人間の精神を即自精神から対自精神に転換したのが、その奇妙奇天烈なキリスト教です。「教」というよりも、キリストという存在そのものです。

 坂本さんの文章が私になぜ懐かしく感じられたか。
 というと、多分、戦国時代にキリスト教宣教師たちが来日して日本人に布教したとき、たとえば秀吉が反感を覚えたその反感の在り方が坂本さんと同じではなかったのか、と私は思います。

 というわけで、坂本さんが反発されている「理性」というのは、ある特殊なタイプのことでしょう。
 理性は、人間である限り、誰にもあるものです。
 日本人にもあります。
 誰もが自分の頭で考え、自分の心で感じます。それが理性です。

 坂本さんが反発されている理性なるものは、多分、その言葉の直前に「啓蒙」理性とか、「経済的」理性とか、何か形容詞がつく場合の、その形容詞のほうでしょう。
 だから、坂本さんが問題視されているのは「理性」ではない、と私の解釈ではなります。

 もしそれ(坂本さんが問題視する点)が「人工的」であるところであるなら、それは、ヘーゲルがいう「即自精神」と「対自精神」の対立です。

 そうであるなら、この対立では、即自精神には勝ち目は最初からありません。
 ペリー時代の黒船・蒸気船に幕府が武力で屈服した、マッカーサーの時代にアメリカの原爆に日本の竹やりが負けた、というようなものではなく、それ以前に、日本人の律令理性が近代西洋の自然理性に負けています。私の見方です。

 なぜなら、即自精神は、要するに、自分を認識しない「赤ちゃん」の理性であるためです。
 アメリカ人であれ、日本人であれ、人間であれば、ナショナリティを問わず、誰もが大人になります。
 律令理性は赤ちゃんのものであり、自然理性は大人のものです。
 誰が、誰を養育するか、世界の誰もがすぐにわかります。
 戦後の日本はその通りになっています。

 では、対策はどうするか。
 簡単なことです。
 日本人の誰にもある自然理性に日本社会において市民権を与えること、これだけです。

 これだけで、めでたく対米従属からの離脱です。
 あとは、具体的に、政策に反映させましょう。

 アメリカが日米同盟を望むなら、小沢チルドレンにオバマ大統領とツー・ショットで写真を撮らせてくれ、と。ま、ここはジョ―ダンです。
 

小沢幹事長、小沢チルドレン訪問団のホワイトハウス訪問に条件をつける

 投稿者:ウエダ  投稿日:2010年 2月 9日(火)14時51分52秒
編集済
  こんにちは、皆さん、植田です。

 メディアの騒音には耳をふさいで、政治上の事実、法律上の事実だけを見てみましょう。

 まず、小沢氏は起訴されなかった、という事実があります。これでとりあえず法律上の問題は終わりです。あとは全部、騒音です。
 それから、小沢氏は民主党の幹事長を続行する。鳩山首相が了承。これになんだかんだ言うのは、騒音です。事態を覆すことができるのは、選挙での有権者の投票です。
 メディアはよっぽど小沢問題が飯のタネ(特ダネ)になるのか、有権者たちに影響を与えようと、小沢氏の「逆・褒め殺し」を日夜、行っています。

 で、騒音・雑音には耳を塞げばいいとして、その小沢幹事長が注目すべき発言をしました。

 「民主党の小沢一郎幹事長は8日の記者会見で、4月下旬からの大型連休中に検討している民主党議員団の米国訪問について1.政策的な議論はせず、友好親善を目的とする2.オバマ大統領と議員団の充分な面会時間を確保するーの2点を条件として米側に伝えたと明らかにした。
 民主党議員団の訪米は2日に小沢氏と会談したキャンベル国務次官補(東アジア・太平洋担当)が要請した。小沢氏は『正式の要請ということだった』と述べ、具体的な検討に入る方針を示した。」日経新聞2010.2.9

 面白い事態です。
  ホワイトハウスで、民主党の新人議員たちがオバマ大統領とツー・ショットの記念写真を撮るのでしょうか。
 そしてオバマ大統領は、わざわざ2週間くらい前に平成天皇に面会を要求する、と。で、またまた「1か月ルール」をアメリカが強引に破ってきた、そして民主党はアメリカに屈服した、と。

 いや、そんなふうにもドラマ仕立てにしたくもなる、まったく左右対称形になりそうな小沢幹事長を中心に置く米中の対日工作です。誰が誰を利用しているのか、されているのか。
 私は今から、識者の皆さんの、溌剌とした、奇想天外の「解説」を楽しみにしています。
 

いや、坂本さん、左翼の定義は、まったくもって見事です

 投稿者:ウエダ  投稿日:2010年 2月 7日(日)19時42分45秒
編集済
   こんばんは、皆さん、植田です。

 NHKBSで「坂本竜馬」を見ました。
 きょうのところは、3点、面白いところがありました。

 1 吉田松陰が下田で黒船に乗船する直前の場面がありました。私は、松陰を映像で始めて見ました。
 吉田松陰の外国を見たいという情熱は、日本人にもアリストテレスが言う「人間は生まれつき、知ることを欲する」という欲求があることを証明しています。
 ま、当たり前のことですが。

 2 ペリーが幕府との交渉で、明言しました。
 幕府の役人ー「われわれが開国の要求を拒否したら?」
 ペリーー「戦争をするまでだ」

 3 岩崎弥太郎が土佐藩の藩主(山内容堂)に出した黒船来航対策書を、非常に高く評価した土佐藩の商人がいました。その人が、弥太郎が江戸に出て学問をしたいという願いをかなえるために、資金を提供しました。

 以上、3点です。
 この話題は、また後日。

 さて、坂本さん、いろいろとありがとうございます。
 2点。

 1 三島由紀夫に関しては、私は、「英霊の声」が決定的だと思っています。昭和天皇の人間宣言への怒りです。
 私とは逆に、三島は反応したのだ、と私は思っています。
 この点では、私は丸山真男の側に立ちます。
 丸山のセリフでは、「天皇が人間宣言したからには、戦後の日本人は新しく主体性を確立しなくてはならない」と。
 戦後の日本人が直面した課題を、このセリフで丸山はズバリと言い表しました。
 ただし、東大全共闘時代の時点では、私は、丸山の東大法学部の教授としての立場を糾弾した東大全共闘側に立ちます。その言論と、立場が矛盾しているではないか、と。

 ちなみに、昨年の政権交代は、そのための第一歩です。
 そのための一歩を、戦後の日本人は、ついに踏み出しました。

 2 左翼の定義は、まったく素晴らしいです。
 ドストエフスキーの、なんの小説だったか、『白痴』だったか、なんだったか、その中の議論を思い出しました。スタビローギンという人物が出てくる作品です。
 ドストエフスキーも革命前のロシアで、ロシアの西洋化の意味についてとことん悩んだ人物でした。

 で、坂本さんの「左翼の定義」ですが、まさに、日本人からみた「左翼とは何か」の定義の一級品です。
 ロシアとアメリカは同じ。
 まったく素晴らしい、です。
 意味は多少異なりますが、ハイデッガーも同じことを述べました。まだヒトラーが総統だった時代です。ロシアもアメリカも、われわれヨーロッパ精神が生んだものである、と。

 それはそれとして、坂本さんが考える「左翼」とは、どうやら「西洋近代」と同義語であるようだ、と私には思えるのですが、どうでしょうか。
 だとしたら、ここには日本人の知、あるいは精神にとって大きな問題があります。キリストの言葉を借りれば、「ここに躓かないものは幸いである」というような問題です。
 ペリー以降、ずっと日本人の前に立ちはだかっている問題です。

 いかに技術的に西洋に追いついても、経済的に追いついても、F‐1でチャンピョンになっても、ノーベル賞学者が大量に生産されても、オリンピックで金メダルを大量に獲得しても、どうしても日本人がクリアできない壁があります。
 私はそれを「ヘーゲルの弁証法の壁」と呼びたいと思います。

 この壁をクリアできるかどうかが、日本人が律令理性人である続けるか、自然理性人になるかの壁です。
 音速の世界でいう「マッハの壁」のようなものです。
 その壁を突破すれば、日本語の言論は一変するでしょう。私はずっとそう思っています。

 私の方は、きょうはこんなところで。
 

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