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こんにちは、皆さん、植田です。
タケセン氏の話題の続きです。
ルソーのところからです。
「≪秩序は人々を縛るものではなく、なぜ権利なのだろう》。そんな武田の問いかけから、〈社会契約〉〈一般意思〉などのキーワードを読み解いていく。高校2年の女子生徒が質問する。『日本は契約社会ではないから、ルソーの考えは私たちの社会に当てはまらない。そんな話を聞いたことがあるけど・・』
武田が応答する。ルソーが記述した〈合意〉=〈契約〉は人民主権を保障する概念。商行為を含む個々の契約を成立させる土台となる根本のルールなのだと。生徒は、『契約といっても意味の次元が違うんだね』とうなづいた。1コマ3時間余りの授業は、こうした問答を重ねて進む。
午後8時すぎからは、地域の大人が集う。〈内閣法制局の国会答弁を制限し、憲法解釈を政治家に委ねることは是か非か〉。政権交代後の論点などを話題とし、議論は徐々に盛り上がる。
この塾には多様な人々が集い、去っていく。小学生とその保護者、地方議員、自治体の長、上場企業役員・・。タケセンと議論を戦わせ、時に反発して、またそれぞれの持ち場へと戻る。」日経新聞2009.11.22
ルソーの契約論、一般意志論は、律令理性にとっては躓きの石です。
というか、律令理性にとっては、まだ暗い夜明け前の時刻にあって、ゆっくりと明るい光が射してくる瞬間の光景です。
政権交代があった直後に、この話題を取り上げたのはタケセン氏のセンスの良さでしょう。今の日本利政治状況にあって、律令理性が最も必要としているのが、この一般意志の問題です。
なぜか。
記事の後半にこうあります。
「33年間、市井の哲学者として地域に根ざし、市民との対話に徹してきたタケセンが今年10月、請われて非常勤の国家公務員となった。参院行政監視委員会の客員調査員に任免され、月2回、国会に所属する官僚に哲学の講義を始めたのだ。
行政監視委はキャリア官僚の不祥事などを契機に発足した委員会。依頼された講義内容は、〈日本国憲法の哲学的土台を明らかにする〉。参院行政監視委調査室の首席調査員、荒井達夫は、『公務員倫理やキャリアシステムの問題点の本質を≪武田哲学》の視点で明らかにして欲しい』と期待する。
薬害問題や官製談合は、市民の常の上に成り立つ〈公共〉と、国家が担う〈公〉との齟齬がもたらした病理だと武田は言う。公共哲学をめぐり官僚とタケセンとの対話が始まった。」前掲
こんな具合に、政権交代後の今、哲学を最も必要としているのが官僚です。
戦後の日本国憲法下にあって、官僚の立場はいかなるものか。
これが不明になってきたわけです。
私たちの律令理性論から見れば、簡単な問題ですが、現状ではちょっと過激すぎるでしょう。
しかし、政治家主導が定着すれば、やがて、過激な思想が当たり前になり、常識になっていきます。
で、やがて常識になっていく問いがこれです。
引用文中にあった問いです。
〈内閣法制局の国会答弁を制限し、憲法解釈を政治家に委ねることは是か非か〉。
これは実に簡単な疑問です。
国会とはいかなる機関か、です。
そして国会と司法の関係はいかなるものか。
律令システムの場合と、デモクラシーの場合では、これらの関係がガラッと変わります。
そこで、律令理性論を用いないで、ここをどうやって解明するか。
私には興味しんしんですが、記事にあるように、たとえばルソーの「社会契約論」を参照する、ということになるでしょう。
しかし、そうすると、女子高生が疑問を発したように、こうなります、
『日本は契約社会ではないから、ルソーの考えは私たちの社会に当てはまらない。そんな話を聞いたことがあるけど・・』
さて、ここを商法とか、ビジネスの契約の話で、たとえ話的に説明することは一時的には納得を得られますが、アメリカ占領軍が導入した「国民主権」ほどの過激さに到達できるかどうか。
ここに到達しないと、戦後日本人のアメリカ従属状態を脱することができません。
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