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こんばんは、皆さん、植田です。
現在の日本人が、自分を「日本人」と自己認識(列島人の集団自己認識)していることの理由は、不比等戦略にある、と私は考えています。
不比等がそのような戦略を構築し、その戦略が大成功するまでは、列島人たちは決してそのように自己認識はしていなかっただろう、と。
で、日本人が自分を日本人と自己認識することの是非の問題は別にしてーということは、律令理性人であることがいいのか良くないのか、という問題なのですが、これは別にして、―不比等戦略の一つが、「列島遮断戦略」です。
この証拠を私は探しているのですが、一つ、決定的な証拠を見つけました。
斉明天皇の「詔勅」です。
白村江の戦いに日本は参戦するぞ、という決意表明です。
この勅命が「日本書紀」に出ています。
出ているのですが、私が参照しているのは、講談社学術文庫から出ている「日本書紀」です。漢字だらけの原文ではなく、ひらがなまじりの現代日本語です。
て、さらに私がこの証拠を発見したのは、自分でそこを読んだからではなく、黒須紀一郎の『役小角』に出ていました。
斉明天皇は、百済を自分の「本国」と見なしていた、と。
斉明天皇の「勅命」のところは省略して、黒須氏の要約です。
「要約すると、本国が滅びて頼るところがなく、人々は臥薪嘗胆して救いを待っている。これを救け、絶えてしまった本国の後を継ぐのは当然のことである、という意味になる。この詔勅で、斉明は明確に百済を本国と呼び、自分たちが後を継ぐのは当然だと言っている。」『役小角・第1部』作品社p.267
どうでしょうか。
黒須氏の解釈が正しければ、天皇みずからが、朝鮮半島にあった百済国を「本国」と呼んでいます。
斉明天皇がこの勅命を発したのは、660年。
百済国が唐・新羅の連合軍に滅亡された直後でした。
藤原不比等は、このような倭国の政治状況を見ながら成長したのでした。
不比等が生まれたのは659年です。
不比等が目撃したのは、天智天皇や天武天皇の治世です。
そして、持統天皇の代になって、「倭国人のそういう発想をもうやめさせよう」と列島遮断戦略となったのでした。日本人は、日本列島がこの地球に誕生したときから、日本人だったのだ、と。
さて、今度は、現代日本人が不比等戦略の大成功の後遺症に悩むことになりました。
俗に言う、「日本人には国際センスがまるでない」という国民性です。
なぜ日本人が日本人となったのか、という列島人(日本人)のアイデンティティーの意識(自己認識)の形成のプロセスをしっかりと認識しつつ、私たちはこれから不比等戦略から離脱する必要があります。
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