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こんにちは、皆さん、植田です。
日本語の問題では、文字としての日本語の問題があります。
日本語は、漢字とひらがなとカタカナで構成されています。
私は息子の歴史の教科書で、ひらがなとカタカナがいかに形成されたのか、その生成プロセスを知りました。
実に簡単な表記の生成でした。
教科書の説明はこうです。
「カタカナは漢字のへんやつくりから、ひらがなは漢字の草書体から発達しました。」
「阿」という漢字文字 阿、この文字の左側の部分が→アとなります。
「伊」→イ
「宇」→ウ
「江」→エ
「於」→オ
ひらがなの場合。
以→い
呂→ろ
波→は
仁→に
保→ほ
表記文字としての日本語は以上のようにして形成された、と文科省が認可した教科書が説明しています。
原形は、漢字にあるようです。
そこに大和言葉の発音をあてはめていったのでしょう。
文字表記と発音を区別すれば、漢字を作った中国大陸の人たちと、日本列島に住んだ列島人は、異なった発音の言語を語っていたといえるようです。列島人のことを「倭人」と呼ぶのは、なんか、私には抵抗がありますが、皆さんはどうでしょうか。中華帝国の中華思想の視座の中で列島人を見てしまうことになる、と。
ここは、そのことを自覚していれば問題ない、といって済むことなのか。
で、そのように表記文字としての日本語ができたとしましょう。
では、語順はどうか。
表記文字としての日本語は、中国語・漢字の影響を受けたせいで、目によって作られた言葉、としてみましょう。
そうすると、語順もそうなのか、という疑問が出てきます。
しかし、語順を決めるのは目である、ということは何なのか。言いかえれば、視覚効果、といいますか。
周知のように、日本人の文化は言葉を使ったものが多かったです。和歌、短歌、川柳、俳句。
私の印象では、これらは視覚効果が多く取り入れられています。
そのせいか、現在の日本語の歌も視覚優先の歌詞が多いような気がします。
ちなみに、息子が英語の時間に英語の歌を一つ覚える、ということで、今月は、なんと「ヘルプ」だそうです。御存知、ビートルズの曲で、作詞はジョン・レノンです。この歌は視覚効果の歌ではないところに特徴があります。
さて、語順を決める要因は何か。
といえば、もちろん人間の精神です。
自然界のほうから言語の語順を設定してくるようなことはないでしょう。
あくまでも、語順を決めるのは人間の精神です。
では、その場合、精神とは何を言うのか。
感情か、思考か。直感か、本能か。
ヘーゲルは思考が決める、と述べています。ヘーゲル哲学の日本語翻訳語の定番では、思考は思惟と表記されます。
「思惟の形式はまず人間の言語の中に表出され、また貯えられている。人間が動物と異なるゆえんが思惟にあるということは、今日ではもう当然のこととせられている。
人間の内心に起るもの、一般に観念となって現れる一切、人間の有する一切の思想には言語が介入する。」『大論理学・上巻1』岩波書店P.8
ヘーゲルはこのように述べましたが、丸山真男によれば違います。
日本人は長い間、ヘーゲル哲学のような洋学よりも、中国の学問、たとえば儒教の影響を受けてきました。
で、儒教によれば、人間と動物を区別するのは、「礼」です。
では、礼とは何か。
礼が基準とするものはなにか。感情か、思考か、直感か、本能か。
私自身は、ヘーゲル哲学の影響を受けたせいか、思考が決定的要因だろう、と思っています。
ところが、日本語はどうもそうではないようだ、と感じています。
最近では、英語の語順をそのまま日本語にしてもおかしくないではないか、と思える時があります。
Let's have lunch.
食べようぜ、昼飯を。
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