|
|
こんにちは、皆さん、植田です。
副島氏の話題が出てきたところで、もう一つ。
私が副島氏の存在を知ったのは、アメリカ問題ではなく、その一つ前の英語問題でした。
ちくま新書から出ている彼の英語シリーズは傑作だと思っています。
日本人にとっての英語問題のポイントが押さえられています。
副島氏の新書に刺激されて渡部昇一氏が『英文法を撫でる』という新書を出ましたが、批判のピントがずれていました。
私が見る副島・英文法の核心はここです。
「Someone does something sometine somewhere.
誰かが、何かを、した、ある時、ある場所で
これだけのことが分かれば、あとは、それぞれの場所に、適当な英語を放り込んでゆくだけだ。
これは、1主語(subject,サブジェクト)=主体=主人公=「私」=「人間ということと、その主語が、2何かをする(do)ということと、3〈目的語(object,オブジェクト)=対象=客体、客観=もの=物体に対して働きかけるのである。その次に〈いつ〉〈どこで〉という時間・空間概念が現れるので、4時間の副詞句、5場所の副詞句とつながる。これだけで世界はできている。たったこれだけだ。このように欧米人は自分たちのコトバのことを考えている。」『英文法の謎を解く』p.60
まったく素晴らしい一文です。
その通り。
で、私の副島英文法に対する期待は、なぜこのような構文になるのか、でした。ここを明快に示してほしい、と。
残念ながら、ここの説明は今もありません。
というわけで、さきほど書いた語順の問題は、副島氏が提起して、そのまま未完になっているこの問題を解決するという目的があります。
答えはすでに出ています。
近代精神がその語順を必要とする、というものです。
あとは、それと日本語の語順の関係の問題です。
日本語の語順はいかなる日本人の精神が生み出したのか、と。
|
|