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こんにちは、皆さん、植田です。
副島・英文法の話題の続きです。
私が非常に気に入っている箇所があります。
「日本人はなぜ英語が下手なのか」と題された第1章の最後のところです。
ちなみにこの章の主題は、ピジン英語とクレオール英語、です。
私はこれらの言葉はぼんやりと耳にしたことはあったのですが、その意味について知ったのはこの本のおかげでした。
ちなみに、副島氏によると、日本人の英語はピジン英語です。英語と日本語の混成語です。
では、クレオール語は何か。これも混成語です。
というわけで、この区別はなかなかややこしいです。
ややこしいことは省略しましょう。
どうせこんがらがるだけです。
それよりも面白いのがこれです。
「読者の皆さんは、自分の英語がクリオール化することを望むだろうか。自分の英語が、徐々に、日本語の統辞(syntax)から離脱して、英語化していくことに耐えられるだろうか。
たとえば、
〈ぼくは 思うん だよね。君は すべきだよ。それを〉
I think that you shoud do it.
のようになることを意欲するだろうか。このように、頭のなかに英単語が同時に流れるようなヘンな日本語を認めるだろうか。あるいは、さらに、
〈アイは、スィンクする。ユーは、イットをシュッド、ドゥーだよ〉
というような、かなり怪しいが、しかし、日本人でも何とか通じそうな日本語を今にもしゃべりだしそうな人々の出現を阻止すべきだと考えるのだろうか。ここが思案のしどころだ。
私は、ヘンテコなカタカナ化(これを外来語と言うそうだ)した日本語が、ただ単に単語であることにとどまらず、これらが造文化され、意味をもつようになってゆくことを、ある意味で避けられないことだと思っている。」『英文法の謎を解く』p.17
私もまったく副島氏に同感です。
日本人が話す日本語は、今後、数世紀をかけて次第に英文の構造に近づいて行くでしょう。つまり、まず先に、アイ・シンク(スィンク)と来る日本語文が普通になるでしょう。
私の考えでは、これが自然理性言語の普通の形です。
律令理性言語は、できる限り「アイ・シンク」を消すように努める言語です。
へたに「私は考える、それを」などと言おうものなら、日本人の一般的なイメージでは、自己顕示欲の権化とみなされるのがオチです。
というわけでここで副島氏が指摘しているのは、律令理性と自然理性の問題ということになります。
で、そういうことなら、日本語と英語の違いが簡単に説明できます。
日本語の文法構文には、人間の精神の思考の要素が言語の中に介入することをできる限り否認しようとする傾向がある、と考えられます。
自然理性の哲学を構築したヘーゲルはこう述べています、
「ある言語が思惟規定そのものを表す豊かな論理的表現を持つ場合、すなわち固有の表現と細かな表現の区別をもつ場合には、それはその言語の長所である。前置詞や冠詞にもすでに、思惟に基づくところのこういういろいろの関係が出ている。シナ語はその構造上こういう関係をまるで持たないか、少なくともその点の表現が極めて貧弱だと言われる。その不変詞は全然、従属的なもので、前つづりや接尾語などのようなものと同様に、ちっとも他のものとわけられていない。
それよりももっと大事なことは、言語の中で思惟規定が名詞や動詞の上に表され、それが対象的形式に打ち出されるということである。ドイツ語はこの点では他の近世語に比べて多くの長所をもっている。」『大論理学・上巻1』p.8
ヘーゲル的に見れば、近代の西洋語には、思考の規定が文法の中に反映されている、ということになります。
さて、それではわが日本語はどうか。
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