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こんにちは、皆さん、植田です。
「てにをは」の話題です。
ヤフーのサイトにこんな説明がありました。
「てにをは(てにをは) [ 日本大百科全書(小学館) ] 「てには」ともいう。漢文訓読の際に付される「ヲコト点(乎古止点)」より発した語。ヲコト点のうち、博士家(はかせけ)点などに用いられる(田の字に似た四角形の)四隅の点を左下から右回りに順に読むと「てにをは」となり、そこに起源が求められる。この起源を明らかにしたのは江戸時代の栂井道敏(とがのいみちとし)の『てには網引綱(あびきづな)』である。室町時代から「てにをは」は「出葉」の意で、草木の名前も春にその葉が出て明らかとなるが、表現も「てにをは」がついてその内容が明らかとなるところからの名称という考えが伝わっていたのを否定して出されたもの。源師時(もろとき)の日記『長秋記(ちょうしゅうき)』にヲコト点を「てにをは点」とよんだ例もあり、道敏の説は確実なものとして認められている。鎌倉時代以後、和歌や連歌(れんが)の世界では、語句の続き方の可否を定める際の語として使われるようになり、以後、「てにをはが合わない」のような言い方が残る。「てにをは」は、その由来からいって、漢文訓読の際に補読される語の意味で、助詞・助動詞など種々の語を含む名称であるが、「て・に・を・は」のそれぞれが助詞であることから、助詞の代名詞的な使われ方もする。「てにをは」を品詞分類の一名目として最初に用いたのは鈴木朖(あきら)の『言語四種論(げんぎょししゅろん)』。以後、「動かぬてにをは」「動くてにをは」などの呼び方で、助詞・助動詞の総称という使われ方もする。
品詞の一名目として「てにをは」を用いることは明治時代以後の文法でも行われたが、西欧文典の浸透に伴い、品詞名は、その訳語としての漢語名に統一される傾向になっていき、現在の文法論で「てにをは」を品詞名とすることはない。従来の流れを受け、「助詞の別称」「助詞・助動詞の類の別称」「語句の続き具合」といった意味の語として使われる程度である。
[ 執筆者:山口明穂 ]」
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%81%A6%E3%81%AB%E3%82%92%E3%81%AF/
なるほど、です。
このように「てにをは」が何であるかはわかるのですが、この説明にもあるように、ポイントは、最後のところです。
なぜ洋学の輸入とともに、洋学に押されてしまうのか。
そこで働く力はなにか。
たとえば、西洋の学問には自然科学があったので、そのような学問を立ち上げる西洋人の文法学のほうが中国や日本で発生した文法よりも優れているに違いない、と明治の日本人が考えたのか。つまり、文法そのものの要因からではなく、他の要因からの「力」効果。
それとも、文法学そのものの力によって、「てにをは」学は、西洋の文法に屈したのか。
だとしたら、それは何か。
これは面白い問題です。
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