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こんばんは、皆さん、植田です。
ノーベル賞学者たちが怒っています。
益川氏が言うには、「科学のことを何も知らない若い女性が、なんで無駄と判断できるのか」
夕方のテレビニュースでした。フジテレビ系列です。
自分のCP対称性の破れを検証したつくば市にある高速加速器の建設費用は国からの資金でした。
その費用を勝手に削るな、と。
さて、皆さんは、どちらを応援しますか。
益川氏か、行政刷新会議か。
しかし、私には実にすばらしい光景です。
ついに行政刷新会議が日本のノーベル賞学者たちを引っ張り出してきました。
昼のテレ朝の番組には、江崎玲於奈氏が出ていました。
行政刷新会議がスーパーコンピュータの予算の削除を決定したためです。
しかし、そこは江崎氏、こう述べました。
「スーパー・コンピュータで一番の性能を作るか、二番でいいかということなどは、ばかばかしい問題だ。それよりも、日本人の能力を高めてほしい。
私はつくば大学の学長をやったことがあるが、当時、日本には世界1のスーパーコンピュータがあった。しかし、こんなものはすぐに新しいものが出てくる。それよりも重要なのは、人間の能力だ。日本はこれが遅れている。」
江崎氏のこの発言は70年代からずっと続けられています。
やはりアメリカでの研究体験があるからでしょう。
では、なぜ日本の研究機関、あるいは教育機関はアメリカに比べて見劣りがするのか。
なぜでしょうね?
と、今では、首をひねる必要はなくなりました。
私たちの答えでは、律令理性のせいである、で決まりです。
日本人の一人一人に自発性を与えよ、です。
幼稚園の段階から。
昨晩のフジテレビニュースで報じていましたが、大学生が就活で企業の面接担当者と向き合ったとき、問われたことに対して「整理した話」ができないとのこと。話したい内容は誰もがすぐに思いつくのに、それを人にわかるようにすぐに言葉にできない症候群がある、とのことです。
これは、要は、プレゼンテーションの教科がないだけの話です。
その教科がないということは、日本の学校教育はプレゼンの必要をまったく感じていなかったということです。それが律令理性です。
一方、どこかの幼稚園では、「なぜなら」という日本語を常に自分の話の中に入れる教育を始めたとか。先に結論を口にして、「なぜなら」と続ける訓練を幼稚園の時から始めた、と。
番組のゲストにお茶の水大学の女性の教授が出ていましたが、その人が言うには、「でも、日本では、そんなことをしたら、『あいつはどうもへ理屈っぽいやつだ』と見なされる風潮がいまでもあります。こういうところから、私たち大人も変わっていく必要があります』」と解説していました。
これもまた律令理性の問題です。
日本問題は、どんな事柄であれ、すべて根っこにあるのは律令理性の問題です。
どんどん退治してしまいましょう。
幼稚園から「なぜなら」と日常会話の中に入れましょう。
ノーベル賞学者が何と言おうと、今は、行政刷新会議をやれ、です。
一時的に研究が後退するようなことがあっても、事態が改善されればーすなわち、「天下り」に代表される官僚主導による予算立案が終われば、それこそ江崎氏が文科省予算を立案するようになってもいいじゃありませんか。もっとも、もうこの人は「名誉」の称号がふさわしい年齢になっていますが。
膿を出す作業は、一時後退を免れません。
しかし、膿を出さないことには将来の展望も開けません。
今は、我慢です。
新しい時代の生みの我慢の時期です。
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