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こんにちは、皆さん、植田です。
科学の知とは何か、哲学の知とは何か、などと問いを立てると、非常に抽象的になり、毎日の生活とは関係のない、絵空事の問題のように見えますが、これを具体的にすると、これらの問いが非常に重要なことがよくわかります。
ロケットが大気圏を超えて宇宙空間に進出するには、物理学の知識が必要でした。
では、その知と、知識はいかにして生じたか。
偶然に発見されたのか。
たとえばニュートンの万有引力は、偶然に、ニュートンの頭の中に浮かんだのか。
同様に、医学の知識、化学の知識、その他、自然科学の知識はすべてそうです。
では、その知はいかなるものか。
ガダマーが一般化して言います。
「初期条件と最終結果との間の抽象化された相関が、捉えやすく算定可能なものになって、そのために、新たな初期条件を定立することによって結果が予見可能なものになった時に、実際、このように理解された学問(=科学)によって、技術の時がもたらされたのである。
古くは、職人の手になる技術的制作物、自然のうちに与えられている手本に結びついていたが、こうした古い結びつきが、技術時代の到来によって、構成の理想に、つまり、〈理念に従って人工的に造られた自然〉という理想に転換されたのである。
これが、結局のところ、我々の生きている現代という文明形態をもたらしたものなのである。力学という学問概念のうちに含まれていた構成の理想は、われわれの機械的本質や自然の改造や宇宙空間への進出をわれわれに可能にするほどの、途方もなく拡張された力をもつようになってきた。」『科学の時代における理性』p.50
現代文明を技術力の時代と規定すれば、この時代が可能になったのは、人々の思考がある一定の形になることによって、でした。
で、ガダマーが参照するハイデッガーによると、その思考の形はいかなるものであるか、を科学の知は問うことができない、ということです。科学は、すでにつくられた科学の知の軌道を進むだけであり、自省しない知である、と。
そこがハイデッガーの説く哲学の知と科学の知の違いの核心です。
ハイデッガーはそこを的確に指摘しましたが、では、ガダマーの言う「知の統一」という任務という問題になると、解決はまだハイデッガー哲学の先にあった、という状況です。
私が解明してみたいと思っているのは、自然科学者が心理的に強圧を受けている「進歩」と、資本主義の経済活動が要請する「無限の競争」には、強い関連があるだろう、というものです。
これがあるので、産業の拡大・生産の増大が自然環境を悪化させることが今や誰にもわかっていても、それでいて誰にもストップさせることができない、と。
ここを日本の鳩山・民社党政権は、心理学・学問の問題としてではなく、政治の力によって、強圧的にストップさせようとしています。
興味深い政策ではあります。
しかし、そのせいでしょうか、ニューヨーク・ダウは年初来最高値を更新中というのに、日経平均は下落しています。
そんなことは日本だけがやってくれ、とばかりに。
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