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こんにちは、皆さん、植田です。
私は、8.30を境に、日本は一変したと考えています。
官僚主導政治が終わり、政治家主導の時代が始まりました。
これは、不比等が大宝律令を定めて以来の日本史における政体の変化です。
今のところ、このような時間的視野で発言している人は、私以外にいませんが、そのうちに日本語の定番になり、常識になるでしょう。
で、そうすると、今後の日本語の言論は当然8.30以前と以後と変わってこざるをえないわけですが、ここは、おのずと変わっていくでしょう。自覚すれば変化の速度も上がるでしょう。
この視点から、たとえば丸山真男全集を読み返すと、というか、私は、やっと丸山言論の吸引力から解放された気がしてきました。
というのも、この人の言論は、いかに「モダン」的な装いをもっていたとしても、しょせん、8.30革命以前の言論だったなあ、と思います。しょせん、というのは悪口ではなく、丸山氏に与えられた時代的制約、という意味です。
プラトンは『国家論』で反民主主義者のような言論をしましたが、丸山氏が指摘したように、そのような言論を口にすることができるのは、プラトンが生きた時代のアテネがすでに民主主義の政体になっていたからだ、と。事実としてそういう現実なしには、プラトンといえども、政治学を構築できなかった、と。
同様に、アリストテレスの『政治学』も同じ。
マキャベリの『君主論』もイタリアに自由都市が誕生しなければ登場しなかった。
同様に、ホップスの『リヴァイアサン』もジョン・ロックの『市民・政府論』もピューリタン革命なしにはありえなかった。
そういう意味で、私たちがこれから構築しようとする「デモクラシー言論」は、8.30革命がなかったならあり得なかった、ということになるでしょう。
そういう意味で、丸山言論は、あくまでも昭和天皇の人間宣言に対応しただけのものでしかなかった、ということになるでしょう。アマテラス神話が崩壊したものの、さて、日本人はどうしたらいいか、と途方にくれた時代のものだった、と。
実例文です。
「ナショナリズムの意識の面でも最も根幹となる使命感を見ても、戦前では東洋の精神文明と西洋の物質文明とを日本の国体において総合するという全体的な構造をもっていた。・・ところがこういう形のインテグリティーは戦後においては求むべくもない。そのために支配層やそのイデオローグの用いる政治的象徴が極度に断片化し、細切れ化した。岡崎さんの外交はその都度外交といわれるけれども、そういう意味では、その都度シンボルであり、従ってその都度ナショナリズムにならざるを得ない。つまりある具体的な問題が起こると、それに対応するのに差し当たり必要なシンボルは、古いものでも新しいものでも無統一に動員してくる。だから相互の矛盾撞着が至る所に起こる。〈民主主義〉も日本古来の淳風美俗も、英国の紳士たちもアメリカの開拓者精神も、都合に応じて担ぎ出される。」『丸山真男集6』岩波全集P.280
丸山氏の言論は、死ぬまでこんな感じです。
昭和天皇が人間宣言して以来、日本人は漂流している、という戦後の日本語言論のアーキタイプ(原形/原型)です。
そしていわく、戦後の日本人は主体性を立ち上げねばならない、と。
こういう発想が、私の考えでは、8.30で終わりました。
政権交代は、戦後日本人の主体性が立ち上がったということです。
江戸城の無血開城に匹敵する無血・投票革命です。いや、江戸城無血革命なんてものではありません。アマテラス・無血革命です。
私たちは、日本史の中の、新しい時空間に入りました。
すでに現実に起きた事態を、日本語言論に表現していくことがこれからの私たちの役割です。
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