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「現実」はいかなる文学、哲学、人智学、音楽よりも深い

 投稿者:ウエダ  投稿日:2009年11月15日(日)18時33分47秒
  こんばんは、皆さん、植田です。

 次の話題で書きました。Sサイトです。

バルザック、ヘーゲル、シュタイナー、ジョン・レノン
 

丸山真男の言論が通用した時代がすっかり終わった

 投稿者:ウエダ  投稿日:2009年11月15日(日)15時43分40秒
  こんにちは、皆さん、植田です。

 私は、8.30を境に、日本は一変したと考えています。
 官僚主導政治が終わり、政治家主導の時代が始まりました。
 これは、不比等が大宝律令を定めて以来の日本史における政体の変化です。
 今のところ、このような時間的視野で発言している人は、私以外にいませんが、そのうちに日本語の定番になり、常識になるでしょう。

 で、そうすると、今後の日本語の言論は当然8.30以前と以後と変わってこざるをえないわけですが、ここは、おのずと変わっていくでしょう。自覚すれば変化の速度も上がるでしょう。

 この視点から、たとえば丸山真男全集を読み返すと、というか、私は、やっと丸山言論の吸引力から解放された気がしてきました。
 というのも、この人の言論は、いかに「モダン」的な装いをもっていたとしても、しょせん、8.30革命以前の言論だったなあ、と思います。しょせん、というのは悪口ではなく、丸山氏に与えられた時代的制約、という意味です。

 プラトンは『国家論』で反民主主義者のような言論をしましたが、丸山氏が指摘したように、そのような言論を口にすることができるのは、プラトンが生きた時代のアテネがすでに民主主義の政体になっていたからだ、と。事実としてそういう現実なしには、プラトンといえども、政治学を構築できなかった、と。
 同様に、アリストテレスの『政治学』も同じ。

 マキャベリの『君主論』もイタリアに自由都市が誕生しなければ登場しなかった。
 同様に、ホップスの『リヴァイアサン』もジョン・ロックの『市民・政府論』もピューリタン革命なしにはありえなかった。

 そういう意味で、私たちがこれから構築しようとする「デモクラシー言論」は、8.30革命がなかったならあり得なかった、ということになるでしょう。
 そういう意味で、丸山言論は、あくまでも昭和天皇の人間宣言に対応しただけのものでしかなかった、ということになるでしょう。アマテラス神話が崩壊したものの、さて、日本人はどうしたらいいか、と途方にくれた時代のものだった、と。

 実例文です。

 「ナショナリズムの意識の面でも最も根幹となる使命感を見ても、戦前では東洋の精神文明と西洋の物質文明とを日本の国体において総合するという全体的な構造をもっていた。・・ところがこういう形のインテグリティーは戦後においては求むべくもない。そのために支配層やそのイデオローグの用いる政治的象徴が極度に断片化し、細切れ化した。岡崎さんの外交はその都度外交といわれるけれども、そういう意味では、その都度シンボルであり、従ってその都度ナショナリズムにならざるを得ない。つまりある具体的な問題が起こると、それに対応するのに差し当たり必要なシンボルは、古いものでも新しいものでも無統一に動員してくる。だから相互の矛盾撞着が至る所に起こる。〈民主主義〉も日本古来の淳風美俗も、英国の紳士たちもアメリカの開拓者精神も、都合に応じて担ぎ出される。」『丸山真男集6』岩波全集P.280

 丸山氏の言論は、死ぬまでこんな感じです。
 昭和天皇が人間宣言して以来、日本人は漂流している、という戦後の日本語言論のアーキタイプ(原形/原型)です。
 そしていわく、戦後の日本人は主体性を立ち上げねばならない、と。

 こういう発想が、私の考えでは、8.30で終わりました。
 政権交代は、戦後日本人の主体性が立ち上がったということです。
 江戸城の無血開城に匹敵する無血・投票革命です。いや、江戸城無血革命なんてものではありません。アマテラス・無血革命です。

 私たちは、日本史の中の、新しい時空間に入りました。
 すでに現実に起きた事態を、日本語言論に表現していくことがこれからの私たちの役割です。
 

小沢チルドレンと小泉チルドレンの違い

 投稿者:ウエダ  投稿日:2009年11月15日(日)14時56分45秒
編集済
  こんにちは、皆さん、植田です。

 民主党を圧勝させた選挙参謀の小沢一郎氏が、早くも次回の選挙でも圧勝を狙っています。
 小沢チルドレンを集め、勉強会の毎日です。
 郵政民営化選挙に動員をかけ、その後放置された小泉チルドレンの場合とは、様変わりです。

 「民主党の小沢一郎幹事長の指示のもと新人議員を一から教育する〈小沢学校〉のスパルタぶりが話題を呼んでいる。あいさつの仕方から企業経営者による講習や携帯電話のマナーまで〈新人社員〉なみの徹底ぶりだ。党内のグループ活動に参加しないように目を光らせる思惑もあり、事実上の”小沢派”への動きと警戒する向きもある。」日経新聞2009.11.15

 で、この新人国会議員の研修を通して、小沢チルドレンたちに国会議員にとっても最も重要なことは次の選挙で当選することであるという認識が周知されたとか。
 これは、小泉チルドレンがどうなったかを見たあとでは、大いにうなづける民主党の対策でしょう。

 小泉構造改革は、あたかも民主党の圧勝を御膳だてしたような感が出てきました。
 いや、事実でしょう、「自民党をぷっ壊す」と宣言して首相になったのが小泉純一郎氏でした。自己矛盾のかたまりのような首相でした。

 私は郵政民営化政策は間違っていなかったと思います。
 官僚主導政治を財政的に支える財投システムの破壊です。
 それと今の日本は、民にできるものは民へ、の時代になっています。

 しかし、「脱官僚」を掲げた民主党が、まるで官僚主導に逆戻りするかのような今回の郵政人事ですが、郵政のような巨大企業体は、このようにして前後・左右に揺れながら、その方向を定めていくしかないのでしょう。
 明治以降の日本の官僚主導政治を財政面でしっかりと支えてきたのが郵政でした。
 郵政事業がいっきに民営化になっていくとも考えられません。
 市民社会の形成が一気に進むわけではないというのと同じです。

 で、肝心なことは、小沢チルドレンがそのように教育されて、再度当選されたとして、何をするか、です。
 政治家の仕事は、やはり、政策の立案であり、推進です。
 といえば、ここは小沢マニフェストが出ています。1993年の『日本改造計画』です。
 この計画は、今でも画期的な内容です。

 小沢チルドレンが次期の選挙での当選を確信できたなら、ぜひ、小沢マニフェストを実行に移してください。
 「脱官僚」がさらに前進です。

 それは何か。
 国会議員の仕事場である国会を官僚たちの仕事場にしてはならない、です。
 これだけです。
 これができなかったのが従来の日本の政治であり、自民党の政治でした。
 むしろ自民党は、そのような政治を目指していたのでした。

 だから、小泉純一郎氏がさっさと議員をやめたのは、自民党の中で自分の居場所を失ったからでしょう。自民党は、純粋に官僚政党になるかもしれません。官僚出身者を中心にまとまる政党、です。
 

スタン・ハンセンとハルク・ホーガンのどちらが強いか

 投稿者:ウエダ  投稿日:2009年11月15日(日)12時11分42秒
  こんにちは、皆さん、植田です。

 昔、気になったまま、放っておいた問題があります。
 いや、問題というか、トピックス(話題・事項)です。
 その一つがこのほど解決しました。
 スタン・ハンセンとハルク・ホーガンのどちらが強いか、です。

 その昔、私はプロレスの大ファンでした。
 力道山の時代からです。
 デストロイヤーと力道山の対決は最高のエンターテイメントでした。
 その後、ヒーローはアントニオ・猪木になりました。

 この猪木ですが、不滅のレスラーと思っていたところにスタン・ハンセンが登場してきました。御存知、ウェスタン・ラリアートの名手です。
 猪木がこれにのされました。

 本当に猪木は、やられたのか、と私は半信半疑でした。
 興業のために、やられたふりをしただけではないのか。
 そうすれば、ファンの好奇心をさらに刺激するだろうと。

 そのあと、猪木はホーガンにやられました。
 ホーガンのアックス・ボンバーを受けた猪木は倒れて、意識を失いました。
 まったく動きません。

 ああ、こりゃ、猪木の不滅神話の終わりだな、と私は思いました。
 ここで私のプロレスへの関心が終わりました。

 で、そうなると、ハンセンとホーガンは、どちらが強いのか、ということになります。
 ここが気になるじゃありませんか。
 そう思って数十年が経過しました。
 ついにそのサイトがありました。
 http://www.youtube.com/watch?v=bLcHRORDNmY

 軍配は、ホーガンが強し、でした。
 うーむ、でした。
 私はスタン・ハンセンを倒せるレスラーなど地上にいるのかと思っていたのですが、ホーガンが倒しました。
 アメリカは広いです。

 ユーチューブは、私には最高のメディア媒体です。

 ついでに、ビートルズのベース・ランニングですが、ということは、ポール・マッカートニーのことですが、いやあ、先入観が覆されるというのは、大変楽しいものです。
 「ロール・オーバー・ぺートーベン」のベースがなんと強烈なこと!!
 最高のものの一つです。
 http://www.youtube.com/watch?v=glFsT6wJeEM&feature=related

 ここでベースを弾いているにいちゃん、なかなかいけます。
 他の曲もノッています。
 今の時点で時に気に入ったのが、「レボリューション」です。
 このペースはペリー・ペリー・グッドです。
 

李氏朝鮮の国王が「宇皇」と名乗っていたら

 投稿者:ウエダ  投稿日:2009年11月15日(日)09時12分24秒
編集済
  おはようございます、皆さん、植田です。

 天皇の話題です。

 最近では皇位の継承が問題になりますが、私は、これは皇族だけの問題にしたらどうか、と思います。皇位以外の人がこの問題に口を出すことは、いわば、私有財産権の侵害である、と。いや、私有財産ではなく、家宅侵入罪としますか。とにかく、普通の市民の家庭の場合と同じ、と見なせばいい、と。
 皇位の継承とは、そう考えれば、皇室一族の家長を誰にするか、という皇室だけの問題です。
 戦後の日本の皇室のありかたはこれが自然ではないか、と私は思います。
 で、皇室が選んだ次期天皇を、国民は、日本国の天皇と承認する、と。
 これで皇室継承問題は解決です。

 私に不思議なのは、皇族関係者以外の人達が、継承問題に口出しする権利があると思っていることです。
 そのような発想は「臣民」意識の裏返しです。
 「市民」であるならば、皇族がたの意志を尊重する、というのが自然です。

 憲法の条文が口出ししても良い、としているならば、憲法を変えればいいわけです。
 市民時代にふさわしく、「皇族継承問題は、あくまでも皇族内の問題である」、とでもすれば条文問題は解決です。
 市民たる国民は、皇族の決定を尊重する、と。

 いや、そういう話題を書きたかったわけではなく、ナショナリズムと天皇の問題について書こうと思います。継承問題に触れてしまったのは、こういうのを時局精神というのでしょうね。時代精神ならぬ、時局精神です。

 で、明治維新がなると、明治政府は朝鮮の李氏政府に権力が交代したことを伝えます。
 その時、日本側は外交文書の署名に「天皇」と記しました。
 朝鮮側はこれを見て、文書を突き返してきました。
 「皇」という文字があるのはけしからん、というわけです。
 「皇」という文字を公式の外交文書で使ってもいいのは、中国の皇帝だけであるから、と。たかが日本国の統治者たる分際で「皇」などという文字を使うことは、許しがたい、というわけでした。
 この朝鮮政府の発想は何か、です。

 日本も朝鮮も中国も、一つの政治思想の中で暮らしている、ということを前提にしています。その政治思想が現実に効力を有している世界の中に、これらの諸国はいる、という前提です。
 もちろん、中華思想であり、それが国際秩序の原理となって華夷秩序となりました。ペリーが来航するまでの日本人が住んでいた世界です。

 ペリー来航によって、日本国はウェストファリア体制の中に入りました。西洋諸国が設定する国際秩序です。
 この体制では、諸国は「対等」です。
 だから、明治政府は、自国の統治者を「天皇」として、政権の交代(徳川幕府から明治政府)を朝鮮に伝えたのでした。

 朝鮮は、ペリー・ショックを受けていませんでした。
 おまけに彼らは、ペリーの来航後、まもなく朝鮮にも進行してきたアメリカ軍・使節を武力で追い返しました。
 だから、日本政府なぞ、相手にせず、といったところだったでしょう。
 その後の歴史は、学校の教科書に出ている通りです。
 朝鮮政府は「井の中の蛙」でした。

 で、問題はそのことではなく、当時の日本と朝鮮が共有していた「中華思想」はどうなったのか、です。
 明治政府が使った「皇」という文字にいきり立つほど、朝鮮政府は、中華思想の世界の中にどっぷりと浸っていたのか。

 ここは、イエス、というしかないでしょう。
 しかし、朝鮮がそのように「イエス」という体制でいたために、ペリー・ショックまでの日本は、あくまでも国内でのことですが、「天皇・律令システム」を保持できたのだ、と考えることができます。
 このことはこう想像してみればわかります、朝鮮政府が、明治政府のように自国の国王の立場に「皇」という文字を入れた名前をつけたとしてみましょう。たとえば、そうですねえ、「宇皇」とか。宇宙を支配する皇帝の略です。
 そんなことをすれば、隣国の中華帝国からすぐにいちゃもんがきたことでしょう。いちゃもんだけですめばいいのですが、武力制圧にきて、権力の交代を迫ったことでしょう。親・中国政府を樹立せよ、と。あたかもアメリカが1950年代に行ったイラン政府の交代劇です。

 そう考えると、日本はなぜ「天皇」と名乗れたのか。
 玄海灘があり、中国と日本の間に朝鮮があったからだ、と言えます。朝鮮の存在がクッションになっていた、と。

 話は飛びますが、近代西洋の登場にあたっては、アラビア文化の影響があったことは、今では広く認められています。
 一方、ロシア人の認識では、西洋諸国を「近代化」させたのはロシアです。なぜか。ダッタン人の西方進撃をロシアが食い止めたからだ、と。もしあそこでロシアがダッタン人の進撃を食い止めなければ、ヨーロッパはダッタン人の支配に屈し、「近代」は誕生しなかっただろう、と。
 この場合のロシアが、日本の「天皇」にとっての朝鮮です。

 何が言いたいのかというと、「天皇」という存在は、その誕生の時点からずっと「国際体制」の中で持続してきた、ということです。
 国内的には、アマテラス神話によって日本人の思想は、列島内に閉じ込められましたが、「天皇」そのものは国際的状況抜きには存立しえなかった、ということです。

 「天皇」問題を国内だけの問題に閉じ込めたのは、不比等です。
 そうすることは当時にあっては(7、8世紀の日本)、日本国の独立のために必須でした。
 ペリー以後は、不幸にも、それが逆に作用しました。
 日本国はウェストファリア体制の中に入ったものの、日本人の思想は列島内だけに限定されていました。

 21世紀に入った今、私たちは、不比等戦略を抜け出て、国際状況の中で「天皇」問題を考える思想の枠組みを構築するときです。
 そうすることで、アメリカ占領軍による「天皇利用計画」を抜け出すことができます。
 

「東南アジア」という言葉の意味

 投稿者:ウエダ  投稿日:2009年11月14日(土)13時54分0秒
編集済
  こんにちは、皆さん、植田です。

 「極東/far east」という言葉が「大英帝国から見た日本、韓国」などの地域を指すことはよく知られています。
 では、「東南アジア」はどうか。
 これは、大米帝国から見たアジア支配地域の用語である、という説があります。
 論者は、ベネディクト・アンダーソン。コーネル大学の名誉教授。

 この人が今年、『ヤシガラ椀の外へ』という本を出しました。面白いことに、日本語版だけの著者の自伝とのことです。
 その書評です。評者は東京経済大学教授の桜井哲夫氏。

 「本書のタイトルのなかにすでに著者の研究者としての立脚点が表現されている。インドネシアなどでは〈ヤシガラ椀の下のカエル〉なることわざがある。この地域ではヤシガラを半分に割ったものをお椀として使用するが、このお椀に飛び込んでお椀をひっくり返したカエルは外には出られず、狭い空間だけが自分の知る世界になってしまう。日本の〈井の中の蛙〉と似ているが、微妙に違うそうだ。
 あえて紹介しておけば、著者は欧米中心の偏狭な立場から抜け出し、世界を相対的な視点から見ることで、ナショナリズムは近代国家が創出したイデオロギーだという学説を提唱した名著『想像の共同体』(1983年)で広く知られている。」日経新聞2009.9.27

 私はこの人の名前のことはよく耳にしますが、まだ一冊も読んでありません。
 それゆえにこの書評が非常に興味深く思えました。

 アンダーソン氏は中国生まれ。父はアイルランド人で、母はイギリス人。
 アメリカ、イギリスで教育を受け、アメリカで研究を開始。専門はインドネシア。

 「最初の論文が前田精元海軍少将のインタビューをもとにした論文だった。日本による占領下の過酷な支配を描きつつ、日本の役割抜きではインドネシア革命は理解不可能だと論じたのである。
 さて、本書で著者は、〈東南アジア〉という用語が、インドと中国の間に横たわる広大な地域全体を米国の影響下におこうという思惑で定着させられたものだと語る。〈東南アジア〉という用語が定着しなければ、ヴェトナムは長年の中国との関係から〈東アジア〉に組み込まれただろうという指摘は、興味深い。
 最後に著者は、ヤシガラ椀に閉じ込められた〈万国のカエル〉に対して、地域性を抑圧するグローバル化にも偏狭なナショナリズムにも抗して〈団結せよ〉と呼びかけて本書を締めくくっている」前掲書

 というわけで、「東南アジア」という言葉は、大米帝国のアジア支配のために造語された戦略用語だったわけです。

 ついでにいえば、ナショナリズムは、私の理解では、フランス革命が初発です。
 だから、東南アジア地域のナショナリズムとは別の要因があります。
 ともあれ、近代国家が誕生してから、「国民」なるものが自国の存在意義を確認するときに出てくる思想根拠としてナショナリズムが用いられることには変わりないでしょう。

 日本の場合で言えば、ここがなかなか紛らわしいです。
 「日本国」の誕生をもって日本人のナショナリズムの誕生とみなすべきか。
 そうであれば、日本ナショナリズムの父は、藤原不比等、ということになります。あるいは、それから一世紀遡って聖徳太子です。その時代に、列島人は大中華帝国からの倭国の独立・自立を図りました。

 もう一つは、ペリー・ショックを受けた後の、ウェストファリア体制の中における日本国の独立・自立です。こちらは、「大日本帝国」という名前で日本国の存在意味を誇示・主張しました。

 西洋文明の挑戦を受けて、真っ先に自国の自立・独立問題に敏感に動いたのはアジアの中では日本でしたが、そのように動けた背景には、不比等・ナショナリズムがあったからだと言えます。列島人はすでに一つにまとまっていたわけです。思想の中で。すなわち、アマテラス神話です。あるいは、皇国日本であり、神国・日本。
 日本人のナショナリズムとは、したがって、アマテラス信仰に基づく、と言えます。

 しかしアメリカの占領政策によってこれが無化されました。
 以後、日本人のナショナリズムの根拠は漂流しています。
 代わりに使われるのが、「経済大国」「GDP世界第2位」「日米同盟は世界で最も重要な同盟である」とかなんとか。
 天皇が人間宣言してしまったので、そうするしかありません。

 今も、戦後日本人は、自分のナショナリズムの基盤、すなわち国家アイデンティティーを模索しています。
 鳩山首相がいう「友愛」は、アイデンティティーにはならないでしょう。
 モーツァルトの「魔笛」の主題です。
 そしてフランス革命のスローガンの一つです。「自由・平等・友愛」と。

 話がずれましたが、「極東」にせよ、「東南アジア」にせよ、日ごろ、何気なく使っている言葉が、すでに世界覇権国の世界戦略の一つであるという事実があります。
 私たちはこういう時代に生きています。
 

オバマ大統領のスピーチ、鎌倉の大仏よりも、抹茶アイスがおいしかった

 投稿者:ウエダ  投稿日:2009年11月14日(土)11時10分45秒
編集済
  こんにちは、皆さん、植田です。

 オバマ大統領の日本でのスピーチ、見ました。
 歴代アメリカ大統領の基本的な発想が見事に出ていました。

 アジア全域をアメリカ経済の市場とみなす、そのために、北朝鮮やビルマのような軍事政権を倒して、アメリカに開かれた国にしなければならない。
 かっての日本も軍事政権だったが、アメリカに敗北した後、アメリカに好意的な国なった。中国もいまやそういう国になりつつある。
 アメリカは軍事大国なので、中国が大きくなっても不安にはならない。むしろアメリカ経済の受け皿になってくれることを期待する。
 アメリカは日本との軍事同盟をさらに強化して、ますますアジアでの影響力を強めていく。
 要するに、太平洋とアジアはアメリカのものだ。
 これを勝手にアジアだけでまとまるのは許さない。

 と、こんなふうに私の耳には聞こえました。

 アメリカには天皇がいないので、大統領のスピーチは日本で言えば、平成天皇と鳩山首相が一体となって「お言葉」を述べているようなものです。そして、これからの世界は、アメリカ大統領のスピーチに従って形成されていくことになります。
 それに反抗する勢力を排除するために存在するのが、アメリカ軍です。
 つまり、アメリカ大統領のスピーチが影響力を持つのは、それが正しいからとか、誰にも共感を与える理想だから、ということではなく、軍の力で現実化していくためです。

 憲法9条国家である戦後の日本は、自国の政策を「力」で現実化する手段を放棄しているため、どうしてもアメリカに追随するしかありません。
 オバマ大統領は、普天間基地移設を日米の合意通りに実行するのが好ましいと考えているようです。

 クリントン元大統領の「ジャパン・パッシング」の記憶が鮮明なために、今回の民主党大統領がアジア歴訪の最初の国として日本を選んだことに日本人は感激していますが、アメリカは着実にそのグローバル戦略を実行しています。
 しかし、戦後の日本人はアメリカにますます巻き込まれることを良しとしてきた国ですから、そうであっても、何も痛痒を感じないでしょう。むしろ「これで日本国の安全は保障された」となるでしょう。

 アメリカ軍が日本に駐留していることがすでにアメリカの意志である、とオバマ大統領が言いました。アジア戦略の意志です。

 では、日本の意志はどこにあるのか。
 飛行機の騒音がうるさい、というのは意志なのか。
 技術的な問題と、国家戦略の問題と。
 問題の次元の仕分け作業が必要です。

 しかし、現時点では、アメリカ問題は大きすぎます。
 「脱官僚」から始めるしかありません。
 アメリカ問題は、ペリー・ショックから続く問題を清算する必要があります。マッカーサーもその一つです。
 

インスタントからエターナルへ

 投稿者:ウエダ  投稿日:2009年11月14日(土)09時40分55秒
  おはようございます、皆さん、植田です。

 次の話題で書きました。Sサイトです。

ジョン・レノン=射殺で死んでいく人の運命とは何か
 

「インスタント・カーマ」その2

 投稿者:ウエダ  投稿日:2009年11月13日(金)16時30分30秒
  こんにちは、皆さん、植田です。

 次の話題で書きました。Sサイトです。

ジョン・レノンがあの時点で射殺されなかったとしたら、次に作る
          歌は何だったか
 

ネット中継を聞いて思うこと

 投稿者:ウエダ  投稿日:2009年11月13日(金)15時25分26秒
編集済
  こんにちは、皆さん、植田です。

 行政刷新会議ですが、午後2時を過ぎたところで、三か所とも始まりました。
 私は少しづつ聞いているのですが、内容については具体的すぎて、感想はありません。

 それよりも、官僚対政治家・仕分けチームの対決図式に疑問を感じました。
 デモクラシーの本来の、というか、普通の形としては、官僚と与党がチームを組み、それに野党である自民党が疑問を呈する、という具合になるのではないのか。
 したがって、この対決図式そのものが、日本が律令システムの社会構造だったのだということを示していると言えます。

 官僚はあくまでも政治家が政策を立案するための下準備をする人たちです。
 だから、国民・有権者の前で予算審議をするのであれば、官僚と与党政権がすでに作り上げたものを提示する、という手順になるでしょう。
 たった今行われているのは、デモクラシーではその前段階にあたる予算案の立案過程です。

 いや、まあ、今回は選挙が8月30日であり、官僚立案の予算案の提出締切が8月31日だったために、こういう形になってしまったということでしょう。
 自民党時代は、今、民主党政権になって私たちの目の前に明らかになった予算案の作成過程が、いわば「密室」状態になっていたわけです。つまり、自民党と官僚だけが了解したものが国家予算ということになっていたわけです。

 すでに官僚がつくった予算案を、どことどこが無駄である、とカット判断をするのと、国家予算を前にして、それを自分でどこに振り分けるかをゼロ・ベースで始めるのとでは、大きな違いがあります。
 今年はできなかったことを、来年からは期待しましょう。

 そのための政治家たちの勉強が、今、ネット中継されています。
 ここで答弁・説明しているのは官僚たちです。
 官僚主導システムが政治家主導システムに移行する政権交代革命後の姿が見事に出ています。
 

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