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ダンテはなぜイタリア語で「神曲」を書いたか

 投稿者:ウエダ  投稿日:2009年11月 3日(火)16時42分14秒
  こんにちは、皆さん、植田です。

 次の話題で書きました。Sサイトです。

ルネッサンスを起した中世・西洋人の精神
 

岡田外務大臣が明らかにした「普天間基地」問題の肝心な点

 投稿者:ウエダ  投稿日:2009年11月 3日(火)15時46分25秒
編集済
   こんにちは、皆さん、植田です。

 国会の審議のなかでもっとも興味深い問題は何か。
 官僚答弁がいまとのころ、ありません。ペリー・グッド。
 民主党のマニフェスト通りであり、小沢一郎の『日本改造計画』の実現です。16年ぶりに小沢氏の提案が実現しました。というわけで、小沢氏は、息の長い政治家です。

 それもそうですが、私には、岡田外務大臣の答弁が興味深いです。
 政権が交代してから2か月、鳩山内閣が誕生してから1ヶ月半になるというのに、普天間基地問題では、まだ同じことを繰り返して述べています。
 「前政権とアメリカ政府の合意がどのようにして行われたのか、そこを私は自分で知りたい、そして納得したい」と。「別に嘉手納基地にこだわっているわけではなく、合意の形成のプロセスがわからないうちは、何も決められない」と。

 その通りです。
 しかし、問題は、外務大臣ともあろうものが、なぜ自国の外交政策のプロセスについて、何も知ることができないのか、という点です。
 岡田大臣は、アメリカにも聞きたい、と口にしましたが、アメリカにはアメリカの戦略があるでしょう。まず国内です。
 自民党なり、防衛省なり、外務省なりに当事者がいるはずなのに、なぜその人たちを呼んで、レクチャーを受けないのか。それとも、特定できないのか。

 政権交代が事実起こったことから、日本の政務の引き継ぎにはこんなおかしなことが現実にあることが私たちにわかりました。
 外務大臣にして、前政権が行った外国政府との合意のプロセスがわからない、と。
 それはなぜなのか。

 日本国には、政府とは別に、日本国を動かす「黒幕」がいるのか。
 その人たちがアメリカとの安保問題を仕切っているのか。
 そして時の政権は、その合意プロセスからは排除されているのか。
 私は、よもやそういうことはないだろうと思いますが、あったとしたら、その事実が、そのうちに岡田大臣の口から出てくるかもしれません。たとえば、「この国には外務大臣もタッチできない外交交渉機関がある」と。

 岡田大臣の普天間基地問題への無知は、以上のような興味深い疑問を呼び起こします。
 

政権交代の話題から解き放たれて、また、存在する世界の全領域を駆け巡りましょう

 投稿者:ウエダ  投稿日:2009年11月 3日(火)15時33分15秒
  こんにちは、皆さん、植田です。

 次の話題で書きました。Sサイトです。

人間の進化、前世、ヘーゲル、シュタイナー
 

日本人の自然理性の確立が8.30まで時間がかかった理由

 投稿者:ウエダ  投稿日:2009年11月 3日(火)10時50分8秒
  こんにちは、皆さん、植田です。

 次の話題で書きました。

福沢諭吉の「独立自尊」には、自然理性の根拠が欠けていた
 

加藤和彦の「私はポール・マッカートニーである」問題

 投稿者:ウエダ  投稿日:2009年11月 2日(月)15時37分18秒
編集済
  こんにちは、皆さん、植田です。

 ささきさん、書き込みをありがとうございます。
 最近は、自分で書いた日本語を見ているだけで、地球にはほかに誰もいないのか、という感じでした。60億人以上もいるはずなのだが・・。ここは未知の惑星なのか。
 で、この惑星は、なかなか快適です。
 なんて気分でした。

 ささきさんは北海道の方ですか。北大に行った友人がいますが、彼が着ているオーバーを見て、そこの冬の恐ろしさを想像したことがあります。静岡県で着るオーバーでは、まったく通用しないなあ、と。
 私は北海道には行ったことがありませんが、冬の仙台を味わったことがあります。1月の仙台を1週間ほど。雪一色でした。
 雪の世界もナイスだと思います。

 地球の1年の四季の変化を毎日の生活の中で味わえるというのは、大変贅沢な生活ではないか、と思います。日本は住むにはいい場所です。

 さて、加藤和彦の問題ですが、ささきさんがいう

 >自分を主体にできない精神、自虐的精神に汚染されていましたと加藤和彦のことを評していましたが、意味がわかりません。

 お答えします。
 これは簡単です。
 プロとしてステージに上がったなら、自分を他のアーティストになぞらえてはいけない、と。
 これだけです。
 一介のファンであるなら、いくらでも「私はポール・マッカートニーです」と言ってもかまいません。が、加藤和彦というアーティストがそれを言ったらお終いです。
 自分のアーティストとしてのアイデンティティーの否定です。

 とはいえ、日本人は多くの場合、このように感じないでしょう。
 むしろ自分がヒーローと見なしている人物に、できる限り、完璧に同化するのが日本人の心理的傾向です。
 加藤和彦の場合もそういうことだったのでしょう。
 私は、異常なほどにポールのファンである、と。

 それは私もよく分かりますが、しかし、プロとしては人の前では言ってはいけないセリフ、です。
 「私はポール・マッカートニーです」と言ったら、では、加藤和彦を見にきた・聞きに来たお客さんはどうしたらいいのか。
 ポール・マッカートニーだったら、ポールの公演を見に行けばいいわけですから。

 で、そのように発想してなんとも思わない精神、あるいは思考習慣のことを私は律令理性と呼んでいます。
 それでなぜ平気なのか、といえば、主体がないからです。近代的主体、と言いましょう。単なる主体なら誰にもありますから、それと区別するために加藤和彦には「近代的」主体がなかった、と。

 では、それは何か。
 となりますが、ささきさん、以上で充分でしょうか。
 これから先は、ヘーゲル哲学の世界に入りますが、必要でしょうか?

 フォークルのメンバーでは、私も北山修が一番好きでした。
 次に、はしだのりひこ。
 加藤和彦は、いまいち、ピンときませんでした。
 少し彼の歌を聞いてみる必要があります。そしたらまた感想を書いてみます。

 こんなところで。
 

山口つよし議員の質問/足利尊氏の人生

 投稿者:ウエダ  投稿日:2009年11月 2日(月)12時21分26秒
編集済
  こんにちは、皆さん、植田です。

 午前の国会中継、民主党の山口つよし議員が私の印象に残りました。
 マクロ経済学は終わった、という発言。
 アメリカのアフガン戦争はベトナム戦争になる、との発言。
 インド洋上での石油提供は意味がないとアメリカ軍のリポートでも報告されている、との発言。
 ただし、状況分析はよし、ですが、対策はなし、です。というより、鳩山首相に「アフガンに日本がどのような貢献ができるのか、首相の考えを聞かせてください」という質問だけでした。

 どんな人なのかとさっそくサイトを訪問したら、こんな人でした。
 http://www.mission21.gr.jp/yamaguchi/

 東大卒、ジョンホプキンス大学で政治学の博士号。外務省勤務。
 なるほど、外交に詳しいわけだ、と思いました。
 かのマイケル・グリーン氏を「私の友人」と呼んでいました。
 ま、SAISで博士号を取得したのであれば、そうなるでしょう。

 外務省時代に勤務した大使館もなかなか興味深い場所です。
 アメリカ、中国、イギリス、パキスタン。
 パキスタンがなぜ興味深いかというと、隣国がアフガンです。

 「アレキサンダー大王が苦戦したのが、アフガン。そこの山の中で死んだ。死んだときのアレキサンダーの軍は10万人だった。ソビエト軍がアフガンで敗戦したときも10万人だった。今やアメリカ軍の人数も10万人に近づいている。ベトナム戦争と同様、アメリカの敗北で終わるだろう」。

 「マクロ経済学も終わる。もしマクロ経済が有効であるなら、リーマン・ショックなど起きなかっただろう。リーマン・ショックは経済学の無能を晒した。フランシス・フクヤマは『歴史の終わり』と言ったが、いまや「経済学の終わり」の時代が来た。」

 さすがに現代世界の学問の中心地で博士号を取得しただけに、怖いものなし、です。
 では、その知識で政権交代革命後の日本をどうするのか。
 政治家には次の時代を築ていくヴィジョンが必要です。

 話題は変わって、足利尊氏の評価です。
 井沢元彦氏の『逆説の日本史』では、足利尊氏は武将としては大変有能だったが、政治家としては無能の人だった、ということです。その政治的無能により、南北朝による天皇制度の分裂を長引かせ、おまけに戦国時代の到来の種をまいた人、と。

 尊氏の生涯を要約してこう述べます、

 「とどのつまり尊氏は〈平和〉という果実を味わうことなく1358年4月にこの世を去った。
 幕府の開設者とはいえ、その一生は戦いに始まり戦いに終わるという、ある意味では不幸な一生であり、真の意味での天下統一、平和の確立は次世代の課題として残された。」『逆説の日本史7』P.176

 確かに日本史に出てくる無視できない政治家・武将の一人として彼を見ればそういうことになるでしょうが、しかし、NHKの大河ドラマを見ての私の感想は、違います。
 足利尊氏は、人生での自分の目的を達成した人です。すなわち、北条氏を倒す、と。尊氏の政治的野望は、それだけでした。
 ところが、公家の政治に不満を持つ日本全国の武士たちの期待を一身に集める存在になってしまいました。井沢氏が言う尊氏の無能はここから出てきます。
 これを尊氏の側から見れば、「そんなことはどうでもいい」というところでしょう。「おれは、源頼朝でも徳川家康でもなく、単に足利家の棟梁の家に長男として生まれてきただけで、祖父の遺言である〈北条氏を倒して、天下をとれ〉を実行しただけだ」と。政治を行うつもりはなかった、と。

 尊氏に不幸があるとすれば、統治の必要上から、自分の弟を殺すしかなくなってしまったことです。
 頼朝は、幕府の理念を徹底するために意図して弟の義経を追い詰め、殺しました。
 それに対して尊氏は、時代が要請する状況に巻き込まれて、仕方なく弟を殺す羽目になりました。

 こういう場合に、政治とは何か、という問題が浮上します。
 兄弟が仲良く過ごしたいのに、時代の状況がそれを許さない、というのは何か。

 歴史を見ていくと、その時代を生きた特定の人物の「個人史」があります。
 それと同時に、社会一般の問題があります。個人の権利と、社会全体の秩序が対立するとき、人々はそれをいかに解決するか。

 アメリカ占領軍が日本国憲法をつくるまでは、日本人は基本的人権なる概念を知りませんでした。いや、政治的制度として、その思想に市民権を与えることができませんでした。
 なぜか。
 アマテラス神話を超える思想を、日本人は自分で考え出すことができなかったからでした。国民主権です。
 それゆえに、アメリカ占領軍に「天皇利用計画」をやすやすと遂行され、戦後の日本属国となりました。
 思想の問題は大きいです。

 戦後の日本人の幸福は、アメリカに「管理された」幸福です。
 まあ、それでも、戦前の国体の生活よりはずっとましです。
 戦前には、そもそも個人の自由がありませんでした。祖先崇拝の信仰に基づく政体は、個人に自由を許容すると、秩序が崩壊します。

 室町幕府の時代の日本も、国民主権の思想がなかった時代です。
 私たちは、8.30革命以後の時代にいます。
 別世界です。
 

ももしきの屁

 投稿者:ささき  投稿日:2009年11月 2日(月)11時57分0秒
編集済
  ほ 北海道は寒く、なんと雪が降りました〜。
私も以前は温暖な気候を好み、夏は北海道 冬は沖縄へと住み分け?を考えていましたが、そんな呑気な状態でいられるような時代ではなくなってきました…恐慌のトバ口のように感じています。 オットロシ〜です。
最近では寒い冬…雪で覆われた、(それは都会でも田舎でも)白一色の世界の特有の素晴らしさ、凛とした空気の旨さを、よやっと感動するようになってきました。
これを知らないヒトや感じないヒトは可哀想とホントおもうます。
四季のはっきりした土地で生かされていることに感謝しています。
温暖な地域で、たま金袋ものびきったような(玉なしの女性には判らないですネ)緊張感も無い状態の隷属国家日本で家畜として生涯を終えるのもひとつの人生でしょうが、別な終え方もあるとおもっています。
これは所謂?ももしきの屁…というやつで、この辺が悲しき別れ道ってことですね。

2002年の新フォークル映像は録画して、繰り返し何回も観ています。傑作です。横からのスポットライト・・・逆光での映像が映し出され そこで加藤和彦のあの独特の震える声…。
私は、現役時はもとより解散後もずっと北山修ファンでしたが、ここ十数年は加藤和彦の凄さを思い知らされ、魅了されるようになり、今回の自殺は本当にショックでした。
仰るような背景の北山修ですが、サングラスをかけてでのテレビ等の媒体出演ではっきりと映っています。
で、自分を主体にできない精神、自虐的精神に汚染されていましたと加藤和彦のことを評していましたが、意味がわかりません。
私には、加藤和彦や桂枝雀のような天才故の脆さがその才を充分発揮できた要因であり、その繊細さと独自の世界感それ故に自死に至ったと感じてをります。 この辺が ももしきの屁・・・かと。
 

会員コーナー、再開です

 投稿者:ウエダ  投稿日:2009年11月 1日(日)21時21分37秒
  こんばんは、皆さん、植田です。

 次の話題で書きました。Sサイトです。

 8.30政権交代革命と、ヘーゲル哲学
 

太平記の時代における律令理性と自然理性の対決=楠木正成の場合

 投稿者:ウエダ  投稿日:2009年11月 1日(日)18時04分26秒
編集済
  こんばんは、皆さん、植田です。

 まだ午後五時半というのに暗いです。
 冬が迫っています。
 ところが、気温はなかなか下がりません。
 半袖でも充分な毎日が続いています。

 私は、若いころは夏が一番好きだったのですが(レッツゴー・海)、今では、春と夏がいいです。快適な気温が一番です。

 で、話題は太平記。
 1991年に放映された太平記を見て以来、これが気になって、今年になってレンタルビデオを借りて見ているのですのが、やはり面白いです。
 何ででしょうか。

 その理由を考えてみたところ、この時代はこの時代で、律令システムの中で、武士に代表される日本人が人間としての自然な立場をその社会システムの中に確立しようともがいていた時代だったとわかりました。土地所有権の確立です。幕府とは、この土地所有権を武士たちが相互に承認し合う制度にほかなりません。
 土地所有権の承認は、すなわち自然理性の確立となるわけですが、しかし残念ながら、思想を欠いたために、失敗しました。つまり、幕末の大政奉還であり、律令システムが復活です。

 幕末・明治まで飛ぶのはまた別の機会にして、太平記の時代の律令理性と自然理性の闘いが面白いです。
 土地の所有権の公認をめぐる天皇と武士の対決です。

 で、そういう図式を設定すると、では、武士である楠木正成はどうなのか、という面白い問題が出てきます。武士でありながら、なぜ後醍醐天皇に殉死したのか。
 なぜ最後まで足利尊氏の側につかなかったのか。
 その代わりに、なぜ戦前の国体イデオロギーのシンボルたる人物になったしまったのか。
 7回死んでも、生まれ変わるたびに天皇の忠臣になる、という人物像になってしまったのか。

 井沢元彦氏の説では、楠木正成は朱子学にかぶれていたからだ、というものです。

 「(楠木正成は)天皇に殉じた。だからこそ〈思想の体現者〉なのである。その思想とは言うまでもなく、主人に絶対の忠誠を捧げるという朱子学である。つまり正成は明らかに〈朱子学の行者〉なのである。」『逆説の日本史7』p.38

 いや、ちょっと待てよ、です。
 武士とは言え、日常は百姓だった正成です、いつ、朱子学にかぶれる時間があったのか。
 後醍醐天皇だったらヒマな時間がたっぷりあったでしょうから、中国産の朱子学にかぶれても不思議はありません。しかし、正成にそんな時間があったか。
 そこで正成が朱子学の思想によってではないとしたら、何が理由で後醍醐天皇に忠誠を尽くしたのか。

 ここに疑問を持って大河ドラマの「太平記」を見ていたら、実にわかりやすい説明をしました。
 正成のセリフです。役者は、海援隊の何と言いましたか、金八先生をやった役者の、・・うーむ、何という名前だったか。おお、そうだ、たけだてつや。

 「わしは河内の土豪にすぎなかった。それを天皇は河内の守護に引き立ててくれた。この恩は死ぬまで(or 死んでも)返すことは出来ぬ」

 要するに、後醍醐天皇は、織田信長のように正成の能力を見抜き、実力本位の人事を行ったわけでした。
 正成は、これに感激したわけです。

 私の中では、正成の生き様が福沢諭吉に重なりました。
 徳川幕府の恩を受けたがゆえに、明治維新後、明治政府による政府の要職就任の要請を断固として断った姿です。時代が変わったとはいっても、恩を受けた人を裏切ることはできない、と。

 恩か、自然理性か。
 難しいところです。

 旧体制の中で恩義を授けてくれた人(後醍醐天皇)が、新体制の中(足利尊氏の権力)で否定された場合、恩を受けた人(楠正正成)は、どうしたらいいのか。自分の思想が新体制に与している場合、これは特に難問になります。思想というか、その立場が。正成の場合は、武士身分ですから、足利幕府の側につけば、自分の土地は安堵されました。
 これは、朱子学の問題なのか。
 福沢諭吉が明治政府の閣僚にならなかったことと同じ理由だろうと私は思います。諭吉にとっては、二回も海外旅行をさせてくれた幕府に対する恩は、それだけ大きかったわけでした。

 律令理性システムの中で日本人が自然理性人になっていくには、このようないろいろな時代の状況があります。

 そうしてついに2009.8.30の政権交代が起こりました。
 自然理性の勝利です。

 しかし、当分は、フランス革命後の混乱と同じ状況が発生するでしょう。
 反革命の時期が来ます。
 郵政民営化の逆戻りなどは、その最たるものです。
 

フォーク・クルセイダーズ、ガックリした

 投稿者:ウエダ  投稿日:2009年11月 1日(日)16時39分11秒
編集済
  こんにちは、皆さん、植田です。

 NHKBS2でフォーク・クルセイダーズの2時間番組を見ました。2002年に放映されたものでした。
 途中で、ねむってしまいました。

 北山修の姿を実に久しぶりにテレビで見たのですが、カメラがしっかりと彼を映しませんでした。
 なぜかと思ったら、自分で説明していました。
 大学で講義している身であり、臨床医でもある。患者たちに、先生はこちらが本当の姿だと思われたら困る、と。

 まあ、いいでしょう。
 そういうことなら北山修の輪郭が最後までぼやけていたことも納得できます。

 で、最後、事欠いて加藤和彦が言うには、「ポール・マッカートニーです」。
 いや、アルフィーから出向してきたさかざき氏が「マッカートニー」のところを引き取ったのですが、つまり、

 加藤和彦ー「私はポール・」
 さかざきー「マッカートニーです」

 という具合に、やったわけですが、うーむ、ここでも自虐的精神が繰り返されたな、とがっくりきました。
 せっかくつきあってやった2時間が、それだけで後味の悪いものになってしまいました。

 自虐的精神、すなわち、律令理性です。
 自分を主体にできない精神。
 加藤和彦にして、すっかりこの精神に汚染されていました。
 だから日本のポップス界は洋学ポップスから自立できないのだなあ。
 いや、そもそもこの分野では誰も日本人が自立するとは思っていないでしょう。
 音楽属国です。

 ま、いいじゃありませんか、それで楽しければ、と。
 ムキになることはありません。
 そうやって海外の文化に影響を受けて、そのうちに日本人がオリジナルを見つけていきます。

 加藤和彦氏、ご冥福をお祈りします。
 一度は、楽しませてくれた人でした。
 「帰ってきた酔っ払い」です。それだけでした。
 

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