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市民とは何か=ウォルフレンのレクチャー

 投稿者:ウエダ  投稿日:2014年 9月12日(金)14時49分31秒
  通報 編集済
  こんにちは、皆さん、植田です。

 世一良幸さんのツイッターから。https://twitter.com/astroecology

 * 「世一良幸 @astroecology     ?   6 時間

「臣民から市民へ」を政治スローガンとして掲げる政治組織があってもいいのだが。」


 世一さんのツイッターは、いつも、私が書いたものを適切に紹介してくれる、私にはとてもありがたいツイッターです。感謝、感謝。

 で、この「臣民から市民へ」をスローガンに、というのも、グッドなアイデアです。
 このスローガンは、2009年12月の民主党政権が誕生したときの選挙のスローガン「脱官僚」よりも、より包括的です。
 日本人が市民になれば、それは、官に依存しない人たちのことですから、「脱官僚」は当然、達成されていることになります。

 そこで、ここでますます必要になるのが、臣民と市民の違いの解明です。
 きょうは、カルル・ウォルフレンの説明を見てみます。

 ウォルフレン氏は、1960年代の初期に来日して、以後、ジャーナリストの視点から、日本社会の出来事を観察していました。
 そして、1980年代末に『日本権力構造の謎』を発表しました。
 以後、1990年代の日本語言論界でのこの人の活躍には目覚しいものがありました。

 その時期の彼の代表作の一つが、『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社1994)です。
 見れば分かるように、題名が実に意表を突く面白いものでした。
 そして内容は、まさにこの題名を体現するものでした。

 第一章の最初のページを開いてみます。
 すると、こうあります。

 「なぜ、この国には学校嫌いの子供がこれほど多いのか?」p.13

 その通り!!
 1994年という時点でのこの素朴な疑問は、非常に新鮮でした。
 日本人の誰もが気がついているのに、文部省に遠慮してか、誰も口に出せない状況でした。

 「なぜ、この国の大学には、表情が暗く、退屈そうで、なんの理想もないとすら見える学生がこれほど多いのか?
 なぜ、この国の女性は世界一の晩婚なのか? そして、なぜ結婚しないと決めてしまった女性の数も驚くほど多いのか? また子供を産まないと決めた女性も多い。なぜか?
 これらの現象は、世界でも日本にだけひときわ目立つ現象だ。この国の人々の、顔に貼りついたような笑顔や不自然なはしゃぎかたの下に、その素顔を見てしまった外国人には、この国は《うちひしがれた人々の国》だとわかる。」p.14

 まったくこれらの文章が1994年に書かれたものだとは、私には思えません。
 たったいまの、2014年の日本社会のことではないですか。

 で、ウォルフレン氏は、60年代からの30年以上にわたる日本人観察から、以上のような疑問を提起したのですが、この人は、エライことに、問題を提起しただけではなく、解決策も示しました。
 それが、「日本人よ、市民になれ」、でした。

 「まず、本書を通じて私が最も言いたいことを手短にまとめておこう。
 よりよい人生を生きるために、あなたは日本の変革に手を貸すべきだー私はそう確信している。そして、日本を変えるなんて個人の力ではとうてい無理で途方もない話だ、といまは思われるだろうが、この本を最後まで読んでいただき、それがいま思っているほど大変ではないことをわかってほしい。」p.17

 「日本は国際社会に、より適応できるし、また、より適応する必要がある。
 日本の変革を構想するにあたって、いくつかの概念(コンセプト)を学ぶことが、大いにあなたの役に立つ。」p.17

 「その一つが、《市民の立場/シチズンシップ》という概念だ。
 《市民》、《臣民》、《国民》という三つの概念はしばしば混用されるため、多くの人が同じ意味だと思っている。しかし、《市民》には、たまたま生まれ合わせた国の名前を表示し、外国に行くときパスポートに記される《国籍》と同根の《国民》という言葉より、もっと深い意味がある。また、《市民》には、政府や君主に服従する立場にある《臣民/サブジェクト》とは、まるで違った意味がある。」p.18

 「市民とは政治的な主体だ。市民とは、身の回りの世界がどう組織されているかに自分たちの生活がかかっている、と、折にふれ、みずからに言い聞かせる人間だ。
 私は、市民としてあなたに向けて、この本を書いている。たとえ国籍がちがっていても、私たちは市民として対等である。」p.18


 以上が、ウォルフレン氏による「市民論」レクチャーのエッセンスです。
 すなわち、市民とは、丸山が述べたように、権力を担う存在、ということです。すなわち、主権者。
 臣民は、権力の対象になるだけの存在。(要するに、ゴミ)。

 これで、ヘロドトスがなぜ個人名だけの表記で、「歴史の父」と呼ばれるだけのステータスをもてたのか、私たちにもわかります。
 彼は、「市民」だったのでした。
 だから、国籍は違っても、あなたと私は対等である、と。

 律令理性人とは臣民の別名ですから、この感覚は、日本人が、日常的に実感したことがないものです。

 いまや、普通の日本人が、それを実感する時です。
 3.11以後の今は、特に。
 
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