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こんにちは、皆さん、植田です。
日本人はいかにして原発を推進するようになったのか。
この問いは、2つの問題系列に分けると分かりやすくなるでしょう。
1 政治問題と、2 企業・技術問題です。
1を見てみます。
さきほど紹介した、岩上氏のインタビューを受けた佐藤栄久間氏も中曽根康弘要因に言及していました。政治家要因です。
つまり、日本で原発導入が決まったのは、中曽根康弘からだ、と。
昨日に続いて、私は、相田英男氏の記事を参照してみます。
「日本の初期の原子力開発に大きな影響を与えた政治家として、中曽根康弘、正力松太郎の2人が挙げられる。
第二次世界大戦後の日本はGHQによって原子力開発の一切を禁止されていたが、1951年9月のサンフランシスコ講和条約による開発禁止の条項が解除された。」『洗脳』p.253
この解除を受けて、2人の物理学者が動きます。
茅誠二(かやせいじ/東大教授)と、伏見康治(ふしみこうじ/大阪大学教授)。52年に日本学術会議の総会で、原子力委員会の設立を政府に提案することを要請。しかし、物理学者の多くが、原爆につながるとして反対し、流産。
53年9月、若き衆議院議員・中曽根康弘がアメリカに行く。ハーバード大学で開催される「サマー・セミナー」に出席するため。主催者はキッシンジャー・ハーバード大助教授。
アメリカに2か月滞在するうちに、中曽根は、日本にも原発が必要と納得する。
「帰国した中曽根は仲間の若手政治家数名と一緒に、原子力予算の獲得に向けての準備を開始した。」p.253
1954年3月の衆院で、修正予算として提案される。吉田内閣の時代。
めでたく衆院で可決。
「国会で原子力平和利用調査費の予算額(2億3500万円)の根拠を問われた際に、中曽根は『濃縮ウランに使うのはウラニウム235だからと答弁し、笑いを誘って乗り切った』とも述べている。」p.254
もちろん、茅たちは、そんないい加減な根拠で原子力発電計画がスタートすることは許せん、と考えます。
そして、日本にはまだ自力で研究を推進できる学者はいない、と反対します。
それに対して、中曽根が言います、
「中曽根は『あななたち学者が昼寝をしているから、札束でほっぺたをひっぱたいてやるんだ』と発言したという。中曽根本人はそれを言ったのは別の代議士で、私ではない』と否定しているが、当時それほど緊迫したやり取りがあったのは事実だろう。
この中曽根らの予算獲得を契機に、日本は公式に原子力開発へ向けての第一歩を踏み出すことになった。」p.254
以上を整理すれば、若き中曽根康弘が、ハーバード大でキッシンジャーに煽られて、日本に原子力発電を推進すると決めた、ということになります。
なるほど、戦後の日本の原発の生みの親は、キッシンジャーだったのか、です。
そのためにキッシンジャーは、「国際セミナー」を開いていのたか。
彼のことだから、単なる「政治学」のセミナーではなかったことでしょう。アメリカの世界戦略を推進するための学術的セミナー、です。
中曽根氏は見事にキッシンジャーの戦略に乗った、ということになります。
ところがそこに(予算が決まったところで)、吉田茂内閣を倒すことになる「第5福竜丸」事件が起きます。
アメリカがビキニ環礁で水爆の実験したところ、そこで漁業をしていた日本人が「死の灰」を浴びてしまいました。
すぐに日本国内では反米運動と、核兵器反対運動が盛り上がります。
これを鎮静化するために登場したのが正力松太郎でした。今では、CIAのエージェントだったと判明している人物です。
ウィキペディアにこうあります。
「週刊新潮2006年2月16日号で、戦犯不起訴で巣鴨プリズン出獄後は正力がCIAの意向に従って行動していたことを早稲田大学教授の有馬哲夫がアメリカ国立第二公文書館によって公開された外交機密文書を基に明らかにし、反響を呼んだ。アメリカ中央情報局(CIA)と日本へのテレビの導入と原子力発電の導入で利害が一致していたので協力し合い、その結果"podam"、"pojacpot-1"というコードネームを与えられ、これらの件に関する大量のファイルがアメリカ国立第二公文書館に残ることになった。CIAに正力松太郎を推薦したのは、カール・ムント米上院議員だったという[1]。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%8A%9B%E6%9D%BE%E5%A4%AA%E9%83%8E
さて、以上のように見てくると、どういうことか。
日本の戦後の原子力発電はいかにして立ち上がったか。
キッシンジャー=中曽根康弘
カール・ムント上院議員→CIA=正力太郎
すなわち、「メイド・イン・USA」での戦後日本の原発のスタート、ということになります。
しかし、これは本当なのか?
これが真実であれば、東芝、日立のGEへの「技術従属」問題が出てくる前に、日本の原子力行政のアメリカ従属が構造化されたことになります。
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